頭の体操_進歩か堕落か?




from 福井義高 AngelRabbits LLC

 

酷暑とも言われるような夏において「昔はエアコンが〜」とか、音楽ストリーミングが増えた中で「昔はLPを擦り切れるまで〜」というような意見が発生することがあります。

 

こういった意見に対して進歩と堕落といった二元論で言い合いになることもたま見聞きします。

 

人類は進歩したのでしょうか、あるいは堕落したのでしょうか

 

このような一見無意味な命題に対して、ベンチャースピリッツと中央集権化という切り口で見てみ泰と思います。

 

ただし、これはあくまでも頭の体操で、学術的な裏付けはありません。

 

人類が孤立する個体であった頃、主に狩猟採集で生きていたと考えられています。

 

このときに生存にあたって必要な行動は「食う」ことで、生存にあたっての課題は偶然性に依存するがゆえの「不安定」ということになります。

 

その不安定を回避するため、偶然に依存せずに「育てる」という行動を発揮して、孤立していた個人が群を形成し、農耕によって生存を図るようになります。

 

この段階での課題は、例えば「天災」が考えられます。

 

天災による被害をできるだけ小さくするため、「道具を作る」という行動が重要になってきました。

 

その結果、群れの全員が農耕という同一行動に従事するのではなく、専ら道具を作る個体と農耕に従事する個体との共生の群集が形成されます。

 

すると、道具を作るための「資源」が課題となります。

 

資源を確保するため、道具を作るための資源が豊富な地域と、農耕に適した地域の間での交易が広まります。

 

これによって異なる地域の群集間での食い分けが定着し、「地域間の移動の時間」が課題となります。

交易に要する時間をできるだけ短くするため、動力が発展します。

 

これによって地域ごとの群集間で、早いもの勝ちという競争が生じます。従って動力に必要な「エネルギー」の確保が課題となります。

 

エネルギーを確保するため、必要となった行動は奪い合いと支配です。

 

生物学的には生物群集間の捕食被食の関係が人類において広まったということになります。

 

この場合のエネルギーとは、天然資源もあれば、動物もあれば、ヒトということもあったでしょう。

 

当然の帰結として課題となったのは「戦争」という事象です。

 

「戦争」という課題を解決するために必要となったのは、制度やルールを守るという行動です。

 

ルールを守る手段として、国と企業と通貨という技術を用いて、生息空間が単純化されました。

 

この段階で、課題として自覚されているかどうかはともかく、「過剰依存」という状態が生じます。

 

「過剰依存」、すなわち自らが属している何らかの組織や領域に生存を全面的に依存することによって、個々人がそれぞれ属している組織や領域と自らを同一視することになり、その他に対して不寛容となります。

 

「過剰依存」の状態になると、人類の生存を維持する手段としての富の再分配が困難となります。

 

それを解決しようとする一つの手段として、富に加えて、あるいは富を表現する手段として「共感」という技術で繋がりを求めていこうとしています。

 

「共感」というのは内面の自由を束縛しかねない方法であって、

 

ある考え方に共感するかしないかで対立が起こったり、ある共感の対象、具体的には自分が属している国、企業、その他の属性と、あたかも自分自身が同一人格であるかのような同一視が過剰になったりし、かえって多様性に対して不寛容な環境になりかねません。

 

実際、財政破綻や、パナマ文書や一部の政治的な動きに象徴されるような国と実際の市場の不一致、相対的貧困や社会的排除などなど多くの問題がここのところ急激に増加して、

 

必ずしもうまく運用されていないという問題が顕在化してきました。

 

今まさに、中央集権システムに加えて、補完するような、場合によっては代替するようなシステムが必要となってきました。

 

具体的には中央集権システムをいちいち経由するのをバイパスして、世界中の多様な個人と個人が直接繋がるような生態系です。

 

この生態系では、個体同士が、国や貨幣だけでなくあらゆる活動で相互連結すること、中央集権システムとは離れたところで個体の成長を図ること、そのような複雑な生息空間が必要とされます。

 

この複雑系を支える技術として、IoT、ビッグデータ、AI、ブロックチェーンなどが象徴的にあらわれていると考えられます。

 

人類の生存をいかに維持するかという課題に直面するたびに、新しいベンチャースピリッツが発揮されてきたように思えます。

 

それが普及、事業化されると、今度はその環境が人類の生存のために不可欠なものとなり、その環境に合致するように人類の生存形態が変容していきます。

 

このように、人類のベンチャースピリッツの産物がどんどん人類を取り巻く環境になっていくという見方もできるかと思います。

 

つまり、人類は進歩したのでも堕落したのでもない、まして段々便利になっていったのでもなく、人類が生存し続けるプロセスの現在進行系として、たまたま今があるということです。

 

今回の頭の体操が正鵠を射ているかどうかは別にして、新規事業や起業を検討する際、大きな流れを見誤らないようにすることは重要だと考えます。

 

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